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八木数子さんについて

2017/05/10 13:04 に Mitsuko Mikami が投稿   [ 2017/05/10 14:48 に更新しました ]
今回カリフォルニア在住の八木数子さんの招きで3/1から約1ヶ月間カリフォルニア各地の合計9ヶ所でマクロビオティックの料理教室、九星気学のクラス、コンサルテーション、経絡マッサージ(はだしの指圧)等を行ってきました。

八木数子氏
八木数子さんは87歳。20代の後半に当時難病とされる慢性肝炎B型を患い西洋医学で治療を試みたものの改善されなかったため、民間療法を経て桜沢先生の玄米正食法に出会い、実践したところ肝炎を克服しました。

その後数子さんは桜沢先生の毎月の例会に参加するようになり、リマ先生の料理指導を3年間受けました。1966年4月14日に桜沢先生は亡くなられましたがその年の7、8月に精神オリンピックが行われることになっていたので先生の意思を汲み皆で協力し開催にこぎつけたのだとか。

松本光司先生の指揮の元、数子さんもお手伝いに参加しながら精神オリンピックに関わる間、金髪や青い目をした海外からの訪問者がきちんと正座して上手に箸を使い茶碗から玄米を一粒残さず食べているのを見るにつけ自分も海外の様子を見に行きたいと強く思ったそうです。

精神オリンピック終了後リマ先生がご自宅で料理教室を始められたので数子さんもそれに参加してマクロビオティック料理法を習得しました。その後リマ先生の勧めにより、カリフォルニアのチコにあるチコサンという会社の社長宅に行くことになったのです。

その会社は桜沢先生が晩年に行ったNYでの講演を聞いてマクロビオティックの実践を始めたもののキューバ危機が囁かれ原子爆弾がニューヨークに落とされるという噂が流れたのでカリフォルニアのチコへ移りました。それに伴い17家族がニューヨークからチコへ移動し有志でチコサンという会社を作り日本からの正食品を輸入しました。その中には後に数子さんの夫となる八木順成氏がいたのです。

八木順成氏
八木順成氏は戦前東京農業大学在学中に桜沢先生に出会い、以来先生に傾倒しました。1963には桜沢先生にアメリカに行って正食品を作るように命を受け、チコサンでライスケーキを作ることになったのです。しかし様々な経緯を経て1975年チコサンを離れ、シアトル近郊で梅林を作ろうとしましたが気候のせいかうまくいかず断念。7年ほどシアトルで会社勤めをして生活は快適で安定していたものの、順成さんは桜沢先生から受けた命が忘れられず再びチコ近郊に土地を求めて戻り、60歳過ぎてゼロから梅干しと味噌の生産を始めたのです。しかし、梅作りも軌道にのった2000年6月に他界。その後は数子さんが一人で2007年まで梅の生産を続けアメリカのマクロビオティックの人々に手作り梅干しを供給しました。体調を崩してからは梅林を離れ、そこから車で30分ほどのチコ市にある老人保養施設に移ることを決意し、現在もそこで暮らしていらっしゃいます。

数子さんの5エーカーの土地には450本の梅の木や果物の木が自然農法で栽培されていて梅の季節には梅干しを作る為の青梅を求めカリフォルニア各地から人が訪れていましたが最近若い日本人夫妻が数子さんの意思を汲み、後を引き継ぎました。(続く)
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